【メンタル日記】スタートラインは何度でもひける

子供のころ、つま先で地面の土に線をひいていた。

それがスタートラインだった。

そして、みんなそのスタートラインから出ないように、スタートラインを守り、そこから競争した。

スタートラインのギリギリ先まで立って、いまにも身体がラインを超えそうになっているのを超えないように耐えながら、スタートラインを守っていた。

スタートラインは、地面に即興でひいた、ただの線だ。まっすぐでもなく、歪んでいたりする。そんな線を、忠実に守りながら、その先に向かってスタートダッシュをきめようとしていた。

土があれば、どこにでもひけていた。

いや、土がなくても、乾いた長い雑草をアスファルトにおいて、つくることもできた。

簡単に、一瞬でひけていた。

そんな、物理的にみたら一見何の意味も持たないような、ただの線が、自分たちのスタート地点を決定づけていた。

スタートは重要だ。そんな重要な線をいつでもどこでも、つくることができていた。

大人になると、スタートラインは遥か昔にひいた一つしかないと思い込み、もうとっくに通り越していて、区切りもなにもない平野をただ歩いているような気持ちでいた。

大人になった僕は、ストレスにまみれて腐っていった。

怒りがコントロールできずに、暴れてしまうときがある。

いままで積み上げてきた自分を一気に壊したくなる。自分の人生のすべてを台無しにしてしまいそうな、コントロールできない怒りの感情のなか、一方でそんな自分を見つめながら悲しくてたまらなくなる。

僕が、僕の手を離れて、どこかへ行ってしまいそうで怖くなる。

そしてそんな自分が大嫌いになる。

だけど、そんな自分でもいいんだ。

そんな気分から立ち直ってしばらくは、それまでの醜い自分と、立ち直ろうとしている新しい自分の差がひどくて、気持ち悪くなる。

でも、子供のころのように新しいスタートラインをひいて、またそこから再出発していいんだ。

スタートラインなんて線は、正直、あってもなくてもいいものだ。線があろうがなかろうが、僕たちは出発できる。

だけど、「べつに意味のないような」スタートラインを心にひくことで、出発できる自分があってもいいと思うのだ。

自分のためのスタートラインはいつでもひける。

自分のためのスタートラインをひいて、また新しく生き直そうとする自分を、自分が優しく受け入れてあげてもいいと思うのだ。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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