【テアラロア Day63】テアラロア最難関「リッチモンド山脈」へ!

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気力満天

朝6:45に起きた。

この宿に泊まっている人は、ほとんどがTAハイカーなので、朝早くからみんな準備を始めている。

もう少し寝ようと思ったけど、ハイカーたちが準備のために廊下を歩く音が気になって、眠れなかったので、起きることにした。

準備を済ませて、外に出る。

建物が少ない、朝のセントアーナードのきれいな空気の中、リッチモンドの登山口まで7kmほど、舗装路を歩く。

途中で、おばちゃんとすれ違った。お互いに気持ちのいい挨拶をしたあと、「ハイキング、楽しんで!」と一言、付け加えてくれた。

このリッチモンド山脈が最後の山場だ。

ここを終えれば、あとはゴールまでとんでもなく快適な道が続くらしい。だから、僕の残りの体力と気力を全部、このセクションに注ぎ込むつもりでいた。リッチモンド山脈が終わったあとなら、抜け殻になってもいい。

舗装路歩きが終わり、登山口に着いた。このフェンスをよじ登り、歩き始める。

いきなり長い登りが続くけど、道が歩きやすくてホッとした。

リッチモンドがハードだと言われる理由は、おそらく、アップダウンの繰り返しが激しいのと、3日目と4日目にある岩稜帯をロッククライミングのように登らないといけないところだろう。

今日はまだ序盤なので、歩きやすい。

そしてアーサーズパスからテアラロアを再開して、一人でただひたすら道を黙々と歩き、空っぽになっていた頭の中に、輝きが戻り始めた。

リッチモンドを歩き終えると、もう、あと少しでゴールだからだ。

「ゴール」という文字の先に、いままでの日常生活が透けて見え始めていた。パートナー、友人、母親、日本食、我が家、愛しい日常生活…。(求職活動もしないといけないけど)

気力は満天だ。

シャムロックに出会う

歩いていると、反対方向からのハイカーと出会った。

彼の名は、シャムロック。

ニュージャージーから来たといっていた。一瞬「どこだ?」と思ったけど、すぐにアメリカのニュージャージー州だと気が付いた。

面白いのが、いつもハイカーに出身国をたずねると、アメリカ人以外は国名をいうのに対して、一部のアメリカ人は自分の「出身州」だけをいうことがある。

もちろん、「US(アメリカ)」と国名をいう人の方が多いけど、州だけをいう人もそれなりにいる。

彼はエネルギーに満ちた、めちゃくちゃフレンドリーな人だった。そして長い髪を、三つ編みにしている。

会話をしていて、僕が日本から来たと伝えると、「Ah..こんにちは!」と日本語が、急に彼の口から出てきた。

他にもいろんな日本の単語を知っているし、セントアーナードで「ピザを食べましたか?」と日本語の文章もつくれる!

ビックリして「日本を旅行してたの!?」と聞くと、「いや、まだ行ったことはないんだ」と返ってきた。

じゃあ、なぜ!

「なぜ、日本語が話せるのか」聞いてみたら、発音のきれいな言語の勉強をするのが好きらしく、日本語以外にスペイン語も勉強しているということだった。

どうやらスマホのアプリで言語の勉強をしているらしく、お互いの言語の勉強方法について話した。

異国での生活

しばらく歩き、ハットに着いた。

中を覗いてみようと、入り口にある階段に足をかけると「ハイ、りゅうや!!」と声が聞こえた。

驚いて顔を上げると、テアラロア3日目に、スタート地点の「ブラフ」に行くために乗ったシャトルバスの中で相席したカナダ人姉妹のキアラ&エマがいた!

二人とは、テアラロア7日目にも会っていたけど、それ以降は全く出会わなかった。

僕がクライストチャーチで一週間安静にしていたことで、また巡り会えたようだ。

そしてもう二人、パブロとエイミーに出会った。

二人とも僕と同じ方向を歩くハイカーで、キアラ&エマと一緒に歩いているらしい。

エイミーはニュージーランド人、パブロはいろんな国を転々としているらしい。

ハットの中で、みんなで会話をしているときに僕が「このテアラロアが終わったら、みんなは他のロングトレイルも歩いてみようと思う?」と聞いてみた。

すると、みんな首を縦に振ったり、「イエス!」といっていた。そして「りゅうやはどうなの?」と聞かれたので、「うーん、多分これで最後かなぁ…」と答えた。

「そうなの!?」と反応があったので、「ロングトレイル自体は大好きだけど、言葉の壁があるから、ホテルの受付やレストラン、いろんなお店や、何かの予約のための電話、そしてネイティブとの会話のときも、いつも、相手の言葉を聞き逃さないようにしないとと思って、いつもプレッシャーを感じていて、しんどい」と伝えた。

するとパブロが「わかる」と、深くうなずいた。

「僕は、タンザニアで生まれ育って、いまは他の国で生活をしているけど」

「移住した人は、自分が自国の代表のつもりでその国にいないといけないと言われるでしょ。じゃないと、あの国の人は○○なんだねと周りから思われてしまうから」

「それは、その通りだと思うから、いつも自分の態度や、周りからどう見えるかに気をつけているけど…」

「でも、いつもプレッシャーを感じていて、気が休まらない。精神的にいつも少し、疲れている」と静かな口調で話す。

そこで僕が「でも僕たちは人間だし、いつも完璧な態度をとれるわけじゃない。そして、たまに間違った態度をとってしまったときに、人はそこにつけ込む」というと、パブロはまた深くうなずいた。

パブロの第一印象は「紳士的な人」だった。話を聞き終わったあと、それは彼の苦労が、そうさせているのかもしれないと思った。

そして、僕がパブロに返した言葉は、僕自身に対する戒めでもあった。

僕のパートナーはフィリピン人だ。日本で一緒に暮らしている。周りの目を気にしがちな僕は、パートナーがたまに間違えて、日本で些細なマナー違反をしてしまったときに、それに対して厳しく言ってしまうときがある。

そのときにパートナーは「僕や、僕たち日本に住む外国人は、いつも日本のマナーや態度に気をつけて生活している」

「ただ、たまに間違えてマナー違反をしてしまうことがある。いつも完璧な態度をとれるわけじゃない。そこを理解してほしい」と僕に伝えた。

ニュージーランドという異国に二ヶ月いて、「何が常識で非常識なのか」「何が礼儀正しいことで、無礼なことなのか」という言葉にされることがない、その国の文化に頼った、あいまいな感覚を理解することの難しさを知った僕は、パートナーのいっていた言葉がようやく理解できた。

(ちなみに僕も、ここニュージーランドで、知らずにマナー違反をたくさんした)

人の痕跡

そのあとはハットをあとにして、歩いた。今日もテントを張って寝たいからだ。

そして河原の横にある、木々に囲まれた場所にテントを張る。

その周りをウロウロ探索していると、人が住んでいたような痕跡を見つけた。

トタン板でつくられた屋根や、焚き火のあと、暖炉のようなものまである。

そして壊れたメガネも転がっていた。

どんな人が、ここで何をしていたんだろうか。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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