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【つまらない?】低山登山の魅力を独自目線で2つ解説します

もくじ

低山が好きな2つの理由

低山は「低」という漢字が入っていて、高山に比べてなんとなく見劣りするような感覚はありませんか?

ちなみに僕は、低山が大好きです。その理由は、「コンパクトなので山全体を把握できるという、全体を掌におさめているような掌握感しょうあくかんがたまらない」「低山は日常と地続きなのに異世界感があって、そのギャップがたまらない」からです。

山全体を把握できる掌握感

低山から眺める地上の景色は、高山に比べて圧倒的に近いので、「あぁ、あそこが(地名)だな」というふうに方角がパッと理解できます。なので、自分のいる場所がなんとなく感覚でわかります。

山深い高山を歩いていると、自分が山に埋もれたような気分になり、「自分はどこを歩いているのか」と感覚がマヒするのを感じます。

旅行で例えるなら、僕は「東京」のような観光地やお店が無数にあるところよりも、「小規模な地方都市」のような観光地が2、3ヵ所でコンパクトな場所を歩く方が好きです。「隅から隅まで歩きまわって、ほぼ全ての場所を見たな」と充実感を感じるからです。

ショッピングモールも同じです。

ほどほどの大きさのところだと「このお店には何が置いてあるんだろう」と一つ一つめぐって、楽しく探検できるのですが、あまりに巨大だと、なんとなく自分の無力さを感じたり、ショッピングモールの巨大さにのまれたりして、戦意喪失します。そして、「自分」という感覚が薄くなるのを感じ、なんとなく不安になります

山も同じで、あたりを見渡すだけで山全体の地形をすぐに把握できたり、自分のいる場所がなんとなく把握できると、「山が自分の庭のような感覚」になり楽しく歩けます。

なにごともそうですが、自分の状況を把握しコントロールできていると余裕が生まれて恐怖が減り、楽しむことができるのだと思います。

日常と地続きなのに異世界というギャップ

高山は、日常の場から遠くはなれた場所にあって、「特別な場所」という感覚です。

ですが低山は、そこら辺の田舎からいきなり山に入れます。そして、登山口から山の中に一歩踏み出しただけで、別世界に入ったかのような景色が広がります。

自分たちの日常のすぐ裏に「異世界」が存在しているという、このギャップが気持ちいいんです。

色で例えるなら、「オレンジのキャンパスに濃いネイビーを塗る」ような感覚です。同じキャンパス上に正反対の色が混在しているという、この強烈なコントラストが、平凡な日常生活に刺激とロマンを与えてくれます。これは、低山だから感じられることです。

なので僕は、低山の「登山口」が好きです。

高山を登る場合は、「よし、今日はこの山に登るぞ!」と高山用に気合を入れて、そこに辿り着くまでに車やバイクで長距離を移動して、その途中にある「街から自然へと徐々に変化していく」景色を見ながら、自分の気持ちも高山用に自動的に整えられることになります。

ですが、低山の登山口のような「日常のどの場所にもあるようなありきたりな場所から、山の中の異世界に一瞬で切り替わる」このコントラストが毎回、気持ちよく感じます。

おわりに

今回は、僕がいつも低山に登るときに感じる魅力を言語化してみました。

山を登るのに、魅力をわざわざ言語化する必要はないのかもしれませんが、実は僕と同じように感じている人はいるのではないでしょうか。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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